ブログ運営をしていると、今日は書くことがないなぁ、ネタが見当たらないなぁ、なんてことはしょっちゅうある。
書けない日はやっぱりルーティンに埋もれた日常を過ごしている。
今日は何食べたっけ?買い物で特に目についたものは?
パっと思い出せない。
そんな一日が決して悪いというわけじゃなく、感情が刺激されて大きく動くこともない退屈な一日は、悪いことが起こらなかったということでむしろ幸せなんじゃないか。
という、書けない理由を探している時に、こんな記事を見た。
patoさんのnote
patoさんといえばもう、変態的に大量の文字数を書き続ける作家、ライターである。
そんなpatoさんが最近noteに書いている文章論がとても面白くてためになるので毎日読み込んでいる。
↑に紹介した記事のように、名前も知らない国にでも行ってみれば強烈な体験として、伝えたい、書きたいという気持ちになるだろう。刺激を受けるのは大切だ。
でも、いつものなんでもない日常の中でも、他人から見たら知らないことだったり、面白いことがあったりする。
patoさんの記事を読んで、僕は日常の何でもない出来事を見逃し過ぎているのかなと思った。
例えば、近所のスーパーがポイントも何もつかない、ただお釣りの小銭が出ないというだけの電子マネーカードを始めてしまったのは何故だろう?なんてことを考察しても500文字くらいは書けるのではないだろうか?
うちの庭には、赤、白、黄色のヒガンバナが咲くのだけれど、一般的には赤が多いということを最近知った。ということでもけっこう書けそうな気がする。
ちょっとしたこと、見逃してしまいそうなことを掘り下げて観察することが足りていないのだなと感じた。
これからは小さなことでもよく観察してみよう。
書ける人は僕が気にも留めないようなことをよく観察して、言葉にしているように思う。
書く意欲がないなぁ、と思いながら絞り出した今日であった。